82年生まれ、キム・ジョンを読んで

「要らないよ。人が噛んで捨てたガムなんか。」

これは 私がこの本を読んで一番衝撃を受けた言葉である。主人公であるキム・ジョンがはじめての彼氏と別れた後、主人公に想いがあったサークルの先輩が、周りから好きなら応援するから、アタックすればと勧められた時に返した言葉だ。しかも、その先輩は普段はとても紳士的で親切な人なのだ。

この言葉を目にした時、ある歌詞を思い出した。

「ちょっとくらいの汚れ物ならば、残さずに全部食べてやる。」という、言わずも知れたミスチルの代表曲、「名もなき詩」の冒頭の歌詞だ。この歌詞の「汚れ物」とは何を指すのか、あまり深く考えた事もなかった。

しかし、何となく潜在的に汚れた=過去の男女関係とか欠点も受け入れてあげる、みたいな意味で、でも改めて考えると、この表現を果たして男性にもするだろうかとふと考えた時、私はカラオケでこの曲を歌いながらも、自分が男性目線で歌っていた事に気がついたのである。

男性に対して、果たして「人が噛んで捨てたガム」という表現をするだろうか。若しくは「汚れ物」というだろうか。男性はむしろ経験豊富な方が良いとされる風潮がないだろうか。

昔、男友達が友人の元彼女から告白された時にふったという時の話で、「あいつのお古は嫌。」みたいな言葉を耳にした事があるが

思えばそれも同じだったと気付かされた。

また、日本で不倫等が取りざたされる時、女性ばかりがバッシングされる印象が強い。男の浮気はしょうがないと許されても女の浮気は許されないと、ここぞとばかりに吊るし上げる風潮がないだろうか。

それは、女性は男性の所有者という認識が強いからだと思う。そして、若くて美しい女性、そして誰の手もつけられていない女性が、商品的価値が最も高いという認識が強いからではないか。

また、「女子力」という言葉も、男性から見ての「可愛くて、気が利いて、家事能力が高い」という意味であり、それに対する「男子力」という言葉は存在しない。日本社会でも、ありとあらゆる場面に、性差別が散りばめられているが、いちいちそんな事を気にしていては生きていけないという風潮だし、女性でさえそれを受け入れて、むしろ迎合している面があると思う。

この本は決して不幸な生い立ちの少女の話ではない。どちらかというと、恵まれた家庭に育ち、知的にも容姿にも恵まれ、相手を尊重し合う関係の恋愛をし、年収も性格も申し分ない相手と幸せな結婚をしている。そして、可愛い女の子を出産した。これだけ聞くと、何が不満なんだと言いたくなると思う。外から見れば女性としての幸せを全て手に入れているとも言える。もっと不幸な女性は五万といるだろう。

しかし、そんな恵まれた彼女でさえ、ただ女性であるというだけで、この社会にある見えないハードルや差別、偏見や無理解がキム・ジョンという1人の人間の健やかな心を蝕んでいく。これは、韓国社会の中の話だが、日本社会にも通ずるところが多々あり、むしろ、日本の方が問題が潜在的であるので、それが別段差別とも思わずに、受け入れてしまっていたり、目を背けている分、根は深いし、夜明けは遠い気がした。しかし、この本を一人でも多くの人が読めば、キム・ジョンに共感しない女性はいないだろう。そして、本当は男性にこそ読んで欲しいと切に願わずにはいられない。

少なくとも、私は今まで何に対して、傷つき怒っていたのか、自分でも気づいていなかった痛みさえも、この本は言語化して、痛みに寄り添ってくれており、一緒に戦おうと勇気をくれているのである。

最後に著者が日本の読者に向けての言葉の一節。「私は、誰も女性だからという理由で卑下や暴力の対象になってはならないと考えてきました。女性たちの人生が歪んだ形で陳列され、好き勝手に消費されていると感じました。

女として生きること。それに伴う挫折、疲労、恐怖感。とても平凡でよくあることだけれど、本来は、それらを当然のことのように受け入れてしまってはいけないのです。」

この本に出会えて良かった。

まだまだ、深く掘り下げたいけど、それはまた、別の機会に。

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