私達はどこに向かおうとしているのか

安倍元総理が銃撃されて、再びメデイアに出ることになった「統一教会」という団体名。宗教組織と言われるが、「オウム真理教」と並ぶ立派な詐欺犯罪組織だ。

犯人とされる男性は40代で私と同世代であり、しかも現場が奈良という事で、私は嫌でも父と自分の子どもの頃を思い出していた。

私は奈良女子大学の寮の真裏にある奈良教会という場所に幼稚園から中学一年生まで過ごした。

奈良公園が近くにあり、冬になると食べ物を探して、鹿が民家の前を平気で歩いていて、奈良ではその辺りに鹿が居ることは野良犬や烏が居ること同じように受け入れられていた。小さい頃は母と一緒に野菜や果物の皮を鹿にあげにいったりしていた。

奈良女子大の寮には大きな桑の木があって、近所の友達と一緒に塀に登って桑の実を食べたりしていた。裏には銭湯があって、友達と待ちあわせしてゆず湯の日は入りに行ったりリアカーでお豆腐屋さんが売りに来て、鍋やボールを持って買いに行ったり、今思えば、のんびりした地域、時代だったと思う。

しかし、それは表向きはのんびりしているようでいて、裏では様々な闇が忍び寄っていたのだと思わずにはいられない。

小学生の高学年頃だっただろうか、TVで桜田淳子合同結婚式等で統一教会が騒がれ出したのは。どうやら父も統一教会オウム真理教といったカルトに入信した家族からの依頼を受けて、救出活動に自分の家族そっちのけで取り組んでいたようだ。奈良女子大のサークルにも統一教会は潜んでいたようで、洗脳が解けたあとに教会に通っていたお姉さんに可愛がって貰った事もあった。父は休みは教会の説教で忙しいし、平日は疲れて寝ている姿しか思い出せない。そのうち糖尿病が悪化して入退院をするようになり、夫婦共々精神を病んで家族離散ヘ向かう。

同じ地域、同じ時代を生きた者として、私は犯人を全くの他人とは思う事が出来ない。統一教会等のカルト宗教にどれだけの家庭や将来を壊された人がいるのだろうか。

これが安倍元首相が目指した「美しい国」だ。人を騙して大儲けする裏で、声もなく泣いている人がいる。声もあげられず自分を責めて絶望し死を選ぶ人がいる。

その声にどれだけ耳を傾ける事が出来るだろうか。自分の居心地の良さが誰かの犠牲の上に成り立っていないだろうか。

あれだけ国民には財源がないと言いながら、国会議員の所得の高さは問題にされず、生活保護の人ばかり叩く。国をあげての弱い者苛めが常習化している。

私達はいつまで悪夢をみせられるのだろうか。安倍元首相が国葬だなんて、いいかげんにしてほしい。いつまで、甘い汁を吸うハイエナ達を甘やかせば気がすむのか。

そして、「また騙された!」って叫んだり、「一億総懺悔」でもするのかな。

原爆が落とされて、日本が焼け野原になった時のように。

「この国は何でもある。ただ『希望』だけがない。」という村上龍の小説の一節を思い出した。

希望はあると信じたい。

パンドラの箱の一番最後に。