待ってくれているという事・待つという事
今日は娘の入学式で、校長先生も主任の先生も、新入生一人一人が入学することをとても心待ちにしていたという話をされた。先生だけでなく、2.3年生もとても楽しみにして待っていたのだという。
ただ、待つだけでなく、そのために色々と準備もして下さっていたのだろう。
その時私は、子どもが産まれる時の事を思い出した。私だけでなく、周りの人が、子どもが無事に産まれて来てくれる事を祈り、待ってくれていた。一番下の子の時なんかは、赤ちゃんが来る事を上の子がめちゃくちゃ楽しみにしていた。
普通待つという事は、自分では思い通りにならない事だから、辛く忍耐が必要で、短気な私なんかは待つ事がすごく苦手だ。
その為に今までどれだけ失敗してきたかわからない。
「慌てる乞食は貰いが少ない」という諺があるけれど、本当に待つ事さえ出来ていれば、どれほど人生が変わっていたかと思うくらいだ。
でも、希望さえあれば待つ事も苦ではなくなる。春が来る事を知っているから、厳しい冬の寒さも耐え忍ぶことが出来るというものだろう。
今、いつ終息するか分からない、先の見えない不安と閉塞感の中で、私達に求められているものは、待つという事なのかもしれない。
私達は一人一人が産まれる事を望まれて、待たれてきた存在だという事を思い出して。
希望をもって。